ポンさんから以下のコメントがあったので、新しく立ててみました。

>皆さんの書き込み、とても興味深く拝見しております。
>けれど、三聖さんの書き込みに対する言及がないのが、とても残念なことと思わずにいられません。
>三聖さんは、そもそも神経症というものの実体を認めておられません。
>なまずさんにしろ、永平寺蕎麦さんにしろ、神経症を実体のあるものと認めた上で、完全に受動的になることによって、神経症ではない状態に移行する、変化する、そのように考えてしまっておられるのではないでしょうか?

我々は、精神科で病名が付けられ、薬物療法やカウンセリング、森田療法、無為療法(斎藤療法)、そして自分で考えだしたあらゆる方法で治そうとします。
それに対して「神経症は存在しない」という事ですが。

何かあればコメントお願い致します。

あと、永平寺蕎麦さんのコメントで、
「心の中を観察し、苦痛をただ味わう、を言葉で表現すると、「そうすれば、治る、楽になる」と知性が考えてしまい、自然治癒が起きなくなっている」
とありましたが、「じゃあどうすればいいの?」につながりますので、神経症の人の立場にたった素晴らしいコメントだったと思います。

「あるがまま、そのまま、苦しむ、いつも通り、雑用、治す事をやめる、ただやる、今を生きる、無意識」言葉にするとずっと意識してしまうので、それならば「言語化しない」を実行すると、同じように「言語化しない」をずっと意識してしまう。
永平寺蕎麦さんの「神経症の人は、どこまで行っても、「治したい、治したい」の観念で毎日生きている」という言葉通りですね。

「しょうがないから目の前の事をただやろう」と生活していると、最初のころは良くても、またそのうち苦しくなって、振り出しに戻るという感じです。
ですが、いろいろとやる事があるので、それらをやっていくしかないというのが現在の結論です。(この記事を書いていて再度そう思いました)
それに対して「あるがまま、そのまま、苦しむ、いつも通り、雑用、治す事をやめる、ただやる、今を生きる、無意識、言語化しない」などを挟むから、おかしな事になるのかもしれませんね。(いつの間にか、普段の生活よりも、苦しむ事がメインみたいな状態になってしまう)