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  • #963 返信
    管理人
    ゲスト

    座禅をしばらく実行しているのですが、吸い取られるようにいつの間にか思考に飲み込まれてしまうのですが、これは何が悪いのでしょうか?(考えることが大半になっている)

    不快感のまま時間ばかり過ぎてしまいます。
    何年経っても同じですね。

    そのままの座禅ではないということでしょうか?

    #965 返信
    なまず
    ゲスト

    座禅はメッセージのところに書いたようにただ座る仕事です。
    考えと一般に言いますが考えとは論理的思考で何かのテーマについて
    思索することで自分の意志で行う作業です。
    しかし座禅中に考えに陥るというのはそのような思索ではなく
    自然と湧き出る想い、想念の事でしょう。
    最初のうちは想念はいろいろと出てくるのが普通です。
    例えばその日や過去に経験した事や気になっていること、身体の具合など
    様々な事に起因しいろいろと浮かんでは消え、また想念から連想される想念によって
    次々と出ては消えとすることでしょう。
    それらはそのままにしておくことです。

    そのままにするとはどういうことかと訳が分からないとなったら
    そこがそのままです。
    座禅は只々座る仕事です。
    どれだけ座ればこういう恩恵がありますという何かをえようとして座ると
    いう事ではありません。
    想念は言葉によりいろいろと展開しますが言葉になったところは
    心の真実ではなくその言葉が出る前のところ、もやもやしたところに
    居続けることが大事なのですがそれがどういうことか分からなくても
    いずれ身体を通して分かるでしょう。
    不快感も与えられています。
    与えられることは良いことも悪いことも、不安定なこれを何とかしたいと
    いう気持ちもすべてしみじみと感じ味わっておれば良いのです。
    全ては与えられます。

    #979 返信
    管理人
    ゲスト

    「座禅中の想念や不快感が許せない、何とかしなければ」と思いながらやっていましたが、それも含めてそのままでいうことで継続してみます。ありがとうございました。

    #1182 返信
    らいら
    ゲスト

    なまずさん、1つモヤモヤしているので教えて下さい。

    座禅をおすすめされていますが、これは必須でしょうか。
    ただ座れば良いとおっしゃいますが、座禅をする場合どうしても無意識で治ることを期待して行ってしまうのではないでしょうか。現に私がそうですし、また仕事が忙しかったりすると毎日続かず、そんな続かない自分に罪悪感を覚えてしまいます。座禅をしないから治らないんだという言い訳にもなります。
    もっと言うと、普通に平和に生きてる人はおそらく座禅なんてしていないと思います。神経症が治った他の人は、座禅や瞑想等の手段を否定されている人もいらっしゃいます。

    そんなことから座禅は効果のある人もいると思いますが、別にやらなくても良いのではと思ってしまいます。また、座禅が必要だと考えられる場合、いつまでやればいいのでしょうか。治ったらもうやる必要はなくなるのでしょうか。その治ったという判断は自分の体を通してはっきりわかるものでしょうか。

    質問ばかりですみません。
    座禅について個人的には不要かなと思っていますおり、座禅は要らないよと説く神経質完治者もいるなかで、神経質者に優しく寄り添うなまずさんが必要と言うのだから、やっぱりしないといけないのかなと迷ってしまいます。覚悟が決まらないというか葛藤をおぼえておりました。
    自分の中でスッキリしたかったので恐縮ですが、お答えいただければ幸いです。

    #1184 返信
    なまず
    ゲスト

    はい、私はお勧めしますとは言いましたが必須ですとは
    一度も言っておらず、しなくてももちろん構いません。
    ただ 座る仕事 と言っていますね。
    坐禅は特別なものではなく、毎日の眼の前の必要生活の行動と
    一つも変わりません。
    座る作業といいますか、行動の一つにすぎず
    坐禅に特別な意味を持たせるのは間違いです。
    坐禅はただ座る仕事としてするもので神経症を治すために坐禅をするという事になると
    坐禅が座る仕事で無くなってしまい自分の心の欲求に従った行動になり妨げになります。

    言われるように確かに日々の生活で普通はしない行動です。
    私たちは行動になにかしらの意味を追求するものです。
    分からない行動はしたくない気持ちが起こるのは自然な事です。
    続けられるようであれば続けたらいいという程度のものとして
    されたら良いと思います。
    する場合は日々の散歩の習慣と同じ程度に思っておればよいし
    しないと決めて止めるのも自由です。

    私は神経症に悩む方々に治す方法を教えているのではなく、
    体験に基づいてただ日々実生活をし真実に生きる事が大事ですと
    言っているに過ぎません。

    #1185 返信
    らいら
    ゲスト

    なまずさん、コメントありがとうございます。
    坐禅は治すための手段ではないということですね。
    色々期待してしまう自分がおりました。
    きちんと意図を汲み取れていなかったのだと思います。
    あまりあれこれ考えず気軽にやろうかなと思います。

    お時間を割いてコメントしていただきありがとうございました。

    #1186 返信
    なまず
    ゲスト

    はい。
    禅に“只管打座(しかんだざ)” という言葉が有りますがただひたすら座るという意味です。

    心の事はすべてが「与えられる」もので向こうからやってきます。只々待っていれば良いのです。

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